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覚え書き


  ★単行本のあとがきを元にして再構成し、加筆しました。
    Kindle版で発行することになりました
                                                     


『風の中の夢想者(旧タイトル・風の住む扉)』とその後日談の執筆時期は1998年から99年にかけてです。
すでに記憶もあいまいになってますが、思い出せる範囲で作品解説を書いてみたいと思います。
というのも、この作品には古い原型作品があり、年月を隔てて試行錯誤した分、思い出深いものだからです。

まずその古い原型作品のことから。
十代の頃、とくに人に見せる予定もなく、発表するつもりもなく、厚めの布張りノート五冊分ぐらい書きためた長編作品がありました。

14歳ぐらいの少年少女六人が地下室で遊んでいたら、最終戦争が起こって世界が滅びてしまい、無人で荒廃した地を協力して生きのびるという設定の話でした。舞台は現代日本じゃなかったと思いますが、異世界ファンタジーでもなく、疑似パラレルワールドみたいでしたね。
最終戦争の原因とか、世界の様相がわかる衝撃の結末(笑)も想定してありましたが、ノート五冊分書いても終わらず、未完のまま机の引き出しに入れてそのままでした。その世界やキャラたちを書いてるのが楽しくて、いっこうに終わらせる気はなかったように思います。

何がそんなに楽しかったのかと思いおこせば、話の展開や結末が書きたかったわけではなく、その状況そのものが好みだったようです。『十五少年漂流記』や『蠅の王』などと共通してますが、対照的で個性のあるキャラたちが日常のもろもろの事から解放され、共同生活とサバイバルを余儀なくさせられるという状況設定です。
だから設定を変えて、無人島に漂流しても、異世界に飛ばされても、別にかまわなかったでしょう。「閉鎖空間もの」好きにも繋がり、今でもそういう状況設定にはそそられます。『ゴーメンガースト』や世代宇宙船ものが好きなのも同じ趣味嗜好でしょう。

その後、年月がたち、長編も完結させられるし、発表できるような作品も仕上げることができるようになり、古い未完長編のことは忘れていました。
でも気持ちのどこかに、昔すごく熱中していた未完作品を、ある程度技術のあがった今、今度こそ完結させてやりたい思いもありました。

またさらに年月がたち、98年の夏、軽井沢を訪れました。その年だけでなく、夏になると月に何度も軽井沢を訪れるほど気候や景色が気に入ってました。
旧軽だけでなく方々を泊まり歩きましたが、中でも好きだったのが万平ホテルのたたずまいで、数日連泊したときのことです。万平ホテルの裏のあたりを散歩していて、霧の向こうに黒い石畳の道を見つけました。「幸福の谷」と呼ばれる別荘地の入り口です。
そのとき、なんというか異空間に足を踏み入れるような感じがして、道と道の端がつながるように世界が立ち現れ、話ができました。
未完作品を改造するというより、昔好きだったものたちと再会するような気持ちでした。

世界が見えてとっかかりができたのはよかったのですが、それからがまた試行錯誤の連続でした。
初期設定はすべて捨て、キャラもほとんど変え、書きたかったエッセンスだけを残すという方針で、構成を立て直しました。
一から新しいものを作る方がはるかに簡単でしたが、この機会を逃したら永遠にお蔵入りするような気がしたので、気力をふりしぼりました。けれどその作業がすごく楽しかった。

結果として、未完作品の初期設定やキャラはほとんど残ってないのですが、好きだったものの核のようなものは確かに受け継いだ作品ができました。
少女キャラを切り捨て、少年たちだけにしたのもよかったように思います。年少とはいえ、現実的な恋愛ものにしたくなかったし、観念的なやりとりも少年どうしなら成立させられる可能性がある。
ちょうど時代的に自由なボーイズラブ枠というものがあり、男どうしの絡みさえ入っていれば、どんなジャンルや状況設定でも許容されるという幸福なめぐりあわせもありました。今はそうでもないでしょうが、98年前後はなんとか許されたように思います。

結果として仕上がった『風の住む扉』は、枠に合わせて設定を試行錯誤した痕跡が残っているし、ジャンルわけしにくい変な話で、ひいき目に見ても完成されたいい作品と胸を張って言えませんが、これが書きたかったという原型はとどめている好きな作品です。

心残りもふくめて、苦労しながらも楽しかった記憶が忘れられず、その後も懲りずに二年後の後日談を書いてしまいました。
『水の中の散歩者』『月の下の彷徨者』の後日談の方は昔の未完作品とあまり関係なく、改造したものをベースにして生まれたものです。
 
他ではむずかしいしやりにくい、観念的な想いの交錯みたいなものが表現できたから、後日談の方は個人的に満足のいく出来です。もっと深くつっこんでみたかった誘惑もありましたが、物語の枠組みを維持するにはこのあたりにしておいてよかったかもしれません。

後日談の後日談で英国編の構想もあったから、また書いてもいいかなと考えてます。
今でもこの作品を読みかえすときは、作者自身もなつかしい幼なじみと再会するような気持ちになります。